妙照寺の謎

一週間程前、知人の紹介で春日山林泉寺の笹川元祥住職がきのこ園にお見えになりました。きのこ園内のお寺の跡を見学するためです。春日山城の古絵図に必ず記載されているように、上杉謙信公の時代、妙照寺というお寺がありました。笹川住職のお話で、妙照寺の春日山時代以降の消息の謎が解けました。それは上杉氏の会津移封に伴い、代わりに春日山城に入った堀氏が直江津の福島城に移ることに伴い移転し、その後高田城下の現在の高田駅構内に移りましたが、寺が傾いて国に売り払い南本町に移り、その後廃寺になったとのことでした。時の権力の都合に翻弄された妙照寺、現在、きのこ園に残る古井戸とお坊さんの墓石だけか当時をかすかに偲ばせます。(当時は音読みで妙照寺については明昌寺、妙正寺、明正寺の当て字もあります)

縦35センチ横40センチ中央部は骨壺左右の穴は花を飾る為の物か?

春日山城下で3番目の規模の井戸(直径1.5m深さ4m)

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