妙照寺の謎その後

きのこ園の敷地には上杉謙信公時代に妙照寺というお寺がありました。1ヶ月程前、知人を通して林泉寺の笹川住職がきのこ園を訪ねて来ました。住職のお話から妙照寺のその後の概要が判明したことは以前にブログに書きました。ブログにアップした数日後、福島市の安彦候良さんから電話を頂き「越後高田の寺町」田中正著に妙照寺の顛末が詳しく載っていることを聞きました。早速、出版元の北越出版の佐藤和夫さんにお願いをして本を届けて頂きました。その本によると妙照寺は上杉謙信公の禅学の師である林泉寺第7世住職「宗謙和尚」の隠居寺として創建されました。因みに謙信公は宗謙和尚の謙の字を頂き輝虎から謙信と号しています。又真言宗大阿闍梨としての法号宗心の宗は宗謙和尚から頂いています。妙照寺が直江津から福島城下に移り、その後高田開府に伴い高田城下に移転しましたが、明治7年に大風で堂宇が倒壊し、瑞峯寺に本尊を移しましたが、その後瑞峯寺も寺町の高安寺に合併してしまいました。妙照寺本尊の釈迦牟尼仏は現在林泉寺本堂の正面に向かって左側に祀られています。

林泉寺本堂に祀られた妙照寺の御本尊釈迦牟尼仏

きのこ園に残る当時のものと思われる墓石の基盤部分(林泉寺笹川住職によればお坊さんのお墓であるという)

きのこ園に今も残る妙照寺跡の古井戸(直径1.5m深さ4mは春日山城の中で3番目の規模)

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