忘れ去られた春日山神社の近代史

春日山神社の石段を100段余り登り切った庭の右側に東郷平八郎司令官の実筆による石碑が建っている。今や知る人も、語る人も無い。明治38年、国家の興亡を一身に背負った日本海における日露戦争の時の司令官である。

時は流れて昭和20年、第2次大戦が終わり我が国は二千年初めての困難に直面する。あらゆる困難が渦巻く中で、国の行き先を見定め決断した、時の政治家、昭和23年、大戦の反省の上に立って民主教育が始まった。会議、相談ばかりで個人で決定する機会が無くなった。時のジャーナリスト大宅壮一は「6,3制、野球ばかりが強くなり」と皮肉った。

その世代が世の舵を取る頃からこの国はおかしくなった。国家の運命を一身に背負った司令官。二千年来の困難時にも国の方向を見失わなかった時の政治家、今日の恵まれた時代に何も決められない指導者達、その思考と決断のルーツはいかに?

マイナス×マイナス=プラス

代数は真理だ。

東郷平八郎司令官直筆の石碑の前に立つ春日山きのこ園顧問の関原巻治氏(当コラム筆者)

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